志高城 |
主郭北(二本目)の堀切
道のりが長いですが、宏玄寺から15分程で北東端の連続堀切があり、北郭に至ります。北郭の北西にも堀切があり、主郭方面へと南へ進むとこちらにも連続堀切がありますが、この付近から藪が酷くなります。この南が主郭で社が建ち、この南西には三重堀切があり、その先に郭があります。主郭から南東尾根へ進むと段郭が続き、下段南側に竪堀が、先端に堀切があります。この南東尾根を少し下った志高砦も一緒に見学しました。 |
別名 | |||
所在地 | 京都府舞鶴市志高 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、堀切、竪堀、虎口 | ||
現状 | 山林 | ||
築城年 | 南北朝時代 | ||
築城者 | 三上氏 | ||
歴代城主 | 三上氏 | ||
形式 | 山城(比135m、標140m) 宏玄寺から主郭まで約20分 |
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訪城日 | 2011/4 | 感想 | ○ |
由良川を岡田下橋で西へ渡り、国道175号と交差する「志高」信号を直進します。100m程狭い道を北西へ進むと左手に「宏玄寺・志高公民館」があり、ここに駐車させて頂きました。ここから北西の赤い鳥居の前を通り、山へ入って右手の道を登ると墓地があり、城跡まで道があります。志高城の北東尾根から入ることになります。 |
『一色軍記』に一色氏家臣で足利尊氏と共に九州へ渡った三上氏の末裔三上宗室が居城したとある。この三上氏は佐武ヶ嶽城の三上氏と一族で、岡田地方の旗頭として重用されていたが、細川藤孝により佐武ヶ嶽城ともども攻め落とされた。 参考資料 『舞鶴の山城』舞鶴山城研究会発行 『日本城郭大系』新人物往来社発行 |
しだかじょう |