| 山椒太夫屋敷 | 
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| 国道を走っていたら看板が見えたので寄ってみました。少し登ると石碑や祠があり、石棺と思われる古墳跡もあります。山椒太夫は伝説の人かと思うのだけれど、これは城に入れてもいいのだろうか?付近には「安寿と厨子王」関連の地もあるのですが、私は「山椒太夫」も「安寿と厨子王」もどういう話かサッパリ分からず。 | 
| 別名 | |||
| 所在地 | 京都府宮津市石浦 | ||
| 遺構等 | 碑、説明板 | ||
| 現状 | 山林 | ||
| 築城年 | 11世紀 | ||
| 築城者 | 山椒太夫 | ||
| 歴代城主 | 山椒太夫 | ||
| 形式 | 屋敷 | ||
| 訪城日 | 2011/4 | 感想 | − | 
| 国道178号を北上して舞鶴市から宮津市へ入ってすぐ左手に「山椒太夫屋敷跡」の看板が見えてきます。この左丘陵上が屋敷跡で、付近余白に駐車しました。 | 
| この付近には古墳が多く古くから集落があったようで、山椒太夫はこの地に屋敷を構え、三庄を押領し栄えていたとの伝説がある。在地荘官として交通の要地である由良湊にて領民を支配し、周辺には山椒太夫の物見台や城島という別荘・馬場などがあったと伝えられる。 現地説明板参照  | 
    
| さんしょうだゆうやしき |