女布城 |
主郭南西の堀切
登城口
登城道は整備されており、途中で他の道と合流しますが左へ進みます。登りきると主郭から北東に続く段郭に至り、2段程登ると主郭でこの背後(南西)に堀切があります。主郭から北西へ延びる尾根を進むとこちらには連続堀切があり、主郭から北東へ進んだ先にも堀切や竪堀がありますが、藪や木立で見難いです。広い城域のお城ですが、中心部以外は全体に削平が甘く、だらだらした感じで分かりにくいです。 |
別名 | 白雲山城 | ||
所在地 | 京都府舞鶴市女布 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、堀切、竪堀、虎口 | ||
現状 | 山林 | ||
築城年 | 永禄年間(1558-70) | ||
築城者 | 森脇宗波 | ||
歴代城主 | 森脇宗波 | ||
形式 | 山城(比90m、標100m) 登城口から主郭まで約10分 |
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訪城日 | 2011/4 | 感想 | △ |
JR舞鶴線「西舞鶴駅」から南南西へ約2.3km。城南中学校から国道27号で500m程南下した「京田」信号を右折します。500m程西進すると墓地で行き止まりとなりますが、左手の公園、右手の墓地を通り過ぎてすぐを右へ入っていく道が登城口で、道路終点付近に駐車しました。 |
永禄年間(1558-70)、土佐から丹後に移り住んだ一色家臣森脇宗波が築城したが、天正7年(1579)細川藤孝の攻撃に降参し、帰農したといわれる。 参考資料 『舞鶴の山城』舞鶴山城研究会発行 |
にょうじょう |