並河城 |
法然寺東方の微高地となる竹薮が主郭跡です。あまりの藪に中へ入らなかったため遺構は分かりません。お寺の西側道路より西方から北は西念寺の辺りまで川に囲まれた一帯が城域だったようで、主郭の南には舟溜があったようです。 |
別名 | |||
所在地 | 京都府亀岡市大井町並河1-38-23 | ||
遺構等 | |||
現状 | 法然寺東方 | ||
築城年 | |||
築城者 | 並河氏 | ||
歴代城主 | 並河氏 | ||
形式 | 平城 | ||
訪城日 | 2011/5 | 感想 | × |
JR山陰本線「並河駅」から南東へ約700m。並河駅西方から府道402号で700m程南東へ進むと左手に法然寺があります。この寺から東方の竹薮一帯が城跡です。 |
並河城主並河掃部介は、天正年間(1573-92)丹波平定に乗り出した織田軍の明智光秀に協力し、八上城攻めにも参加した。 参考資料 『日本城郭大系』新人物往来社発行 |
なびかじょう |