丸岡城
【道案内】
城跡の地図

お寺は小高い場所にあり、お寺一帯が主郭跡で寺の前に城址碑が、そこから坂を上がりきった所に説明板があります。丸岡城の大手門は坂道辺りにあり、お寺には天守があったようです。また、お寺から約100m西付近からが二郭だったようです。
【感想・メモ】

別名 余部城、過部城、岡山城、円岡城
所在地 京都府亀岡市余部町古城39
遺構等 碑、説明板
現状 西岸寺
築城年
築城者
歴代城主 福井因幡守貞政
形式 平城
訪城日 2011/5 感想
JR山陰本線「亀岡駅」から西北西へ約1km。亀岡駅南方から府道25号で600m程西進して右折し、府道402号で600m程北西へ進んだ右手にある西岸寺が城跡です。お寺周辺は道が狭く、東からは急勾配で車で入れないため注意して下さい。
丸岡城は応仁の乱の際、東軍の軍事的拠点として使われたといわれる。戦国時代には八上城主波多野氏が丹波をほぼ手中にし、その傘下にあった福井因幡守貞政がこの城を守り、地域権力の拠点的城として使われた。天正年間(1573-92)織田信長の命を受けて明智光秀が丹波進攻をし、天正5年に光秀使者が降伏するよう忠告したが追放したため、翌天正6年6月3日、明智光秀の軍勢が宇津根・雑水川・安行山の三方から攻められ丸岡城は落城した。更に勢いに乗じた光秀は八上城も攻め落とし丹波を手中にし、荒塚山に亀山城を築いた。

参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
現地説明板
【歴史】
まるおかじょう
TOPページへ