槇島城 |
別名 | 槙島城 | ||
所在地 | 京都府宇治市槇島町薗場 | ||
遺構等 | 碑、説明板 | ||
現状 | 宅地、公園 | ||
築城年 | 室町時代 | ||
築城者 | 真木島氏 | ||
歴代城主 | 真木島氏 | ||
形式 | 平城 | ||
訪城日 | 2011/5 | 感想 | − |
まきしまじょう |
JR奈良線「宇治駅」から北北西へ約900m。宇治川を県道7号「宇治橋」で西へ渡ってすぐを右折して、県道241号に入ります。500m程堤防通りを北上して左折し、400m程西進して右折します(左手に「任天堂工場」有り)。100m程北上すると正面に公園がありますが、この付近一帯が城跡です。 |
槇島城は、室町時代から安土桃山時代にかけて、足利将軍家の家臣真木島氏が本拠としていた。この地は交通の要衝で、川に囲まれた天然の要害でもあった。元亀4年(1573)、織田信長に追われた室町幕府第15代将軍足利義昭は、京都から真木島昭光がいるこの槇島城に居を移した。しかし、7月18日に追ってきた信長軍勢の豊臣秀吉、明智光秀、柴田勝家らから川下の五ヶ庄より攻められ、稲葉一鉄らからは平等院周辺より攻撃を受け、義昭は昭光らと河内国へ逃げた。これにより城は開城し、室町幕府はこの地で滅んだ。高の戦いを槇島合戦と呼ぶ。その後、信長・秀吉によって城は管理されたが、文禄3年(1594)頃に廃城となった。 |
周辺は宅地となっており、公園に「此の附近 槇島城跡」という石碑と説明板があります。また、ここから北へ200m程のところにある槇島公園には記念碑があり、そこにもお城の説明板がありますが、槇島公園は城外となります。 |