城跡の地図
久美浜城
別名 松倉城
所在地 京都府京丹後市久美浜町古城山
遺構等 曲輪、堀切、碑
現状 久美浜小学校裏山、山林
築城年
築城者 松倉周防守
歴代城主 松倉、松井
形式 山城
訪城日 2004/7/30 感想
【道案内】


【感想・メモ】
くみはまじょう
【歴史】
TOPページへ
国道178号で網野町から豊岡方面へ向かった場合、久美浜町中心部に近い三叉路で国道は左折となりますが、ここを右折して府道11号に入ります。900m程行くと「久美浜小学校」がありますが、この小学校のすぐ西側の山が城跡です。府道11号沿いからですと、小学校のところで道が鉤型に曲がり、左手に小学校を過ぎてすぐ左側に「稲荷神社」の鳥居があるので、そこから登ると城跡です。または、小学校のグランド西端からも登城口があります。車は小学校に停めさせて頂きました。
登リ口に、「松倉城」の案内板があります。山の中腹まで、小学校のグランドから遊具があって、こっちからでも登れそうかも?と想像しちゃいました。もちろん危険だから無理なんだろうけど。城跡へ行こうと思ったらスゴイ藪な上、学校の先生がマムシが出るかも?とおっしゃったので、退却しました。
築城年は不明だが、松倉周防守が築いた。天正10年(1582)、信長の命により丹後に攻め入った細川藤孝(幽斎)の武将・松井康之と戦い松倉周防守は討死した。藤孝は丹後を平定後、松井氏を久美浜城主とした。慶長5年(1600)、関ヶ原合戦の際、細川藤孝の子・忠興が東軍の家康に属したため、久美浜城は西軍・石田三成の軍勢によって焼き払われた。戦後、忠興は豊前小倉城主として20万石で移封となり、また松井康之もまた豊後杵築2万6千石で移封となったため、久美浜城は廃城となった。