笠置城 |
別名 | 笠置山城 | ||
所在地 | 京都府笠置町笠置山 | ||
遺構等 | 曲輪、行在所 | ||
現状 | 笠置寺、山林 | ||
築城年 | 元徳3(元弘元、1331) | ||
築城者 | 後醍醐天皇 | ||
歴代城主 | 後醍醐天皇 | ||
形式 | 山城 | ||
訪城日 | 2007/1/13 | 感想 | △ |
かさぎじょう |
JR関西本線「笠置駅」から南東へ約800m。国道163号「北笠置」信号を南へと府道4号に入り、「笠置橋」で木津川を渡り、JRをくぐって、500m程南下して左折し、府道325号に入ります。この道は途中すれ違いができない道幅の部分があるので注意して上がって下さい。終点に駐車場があり、笠置寺へ入ると、摩崖仏などを巡るコースがあります。このコースに城跡があります。 |
笠置寺へと上がっていく道の途中(終点近く)に、一の木戸の説明板があります。入山・拝観料300円を払って笠置寺に入ると「修験道の行場めぐり」(1周約800m)というコースがあり、その途中に二の丸や行在所があります。二の丸は削平され東屋があるものの特にこれといった遺構はないですが、巨石や磨崖仏などを見て楽しみながら回れます。 |
東大寺の実忠和尚、その師良弁僧正によって、笠置山の大岩石に仏像が彫刻され、その仏を中心に笠置山全体が一大修験行場として栄えた。建久2年(1191)、藤原貞慶が宗教改革者としての運動をし、笠置山全体が信仰の山として全盛を極めた。元弘元年(1331)、倒幕計画に失敗した後醍醐天皇を当山が迎えたため、幕府勢の六波羅の糟屋三郎、隅田次郎左衛門を筆頭に十万余騎が、この城郭寺院を取り囲んだ。1ヶ月もの攻防の末、幕府軍が城中に火を放ち、城は落城した。後醍醐天皇はやがて捕らえられ、隠岐の島へ遠島となった。 |