位田城
別名 高城、低城、宮ノ腰
所在地 京都府綾部市位田
遺構等 曲輪、土塁、堀切、竪堀、説明板
現状 山林
築城年 建武3(延元元、1336)
築城者 位田伊賀守春長
歴代城主 位田、上原、萩野
形式 山城(比160m)
登城口から主郭まで約18分
訪城日 2008/4/30 感想
【道案内】
城跡の地図
JR山陰本線「綾部駅」から北西へ約1kmの由良川を「位田橋」で北へ渡った正面の山が城跡です。遺伝橋を北へ渡って右折し74号に入り、100m程東進すると道路左手に城跡の登山道入口案内があるので左折しますが、ここから先は道が細いので付近の余白に駐車して、案内からは歩きましょう。
城跡は位田高城会が整備して下さっているようで、遊歩道があり、案内が行き届いています。また、遠くからでもすぐにあの山が城跡と分かる山容で、高城・低城の両方が手に取れます。登城口から7分程登ると竪堀があり、更に3〜4分で陣屋跡に出ます。ここから登りが急になるのでちょっとキツイです。途中、藪で見難いながらも堀切を過ぎて陣屋跡から7〜8分で主郭に到着します。主郭には説明板があり、その一段下は詰ノ丸です。低城降り口の標識もあるので、西方約300mにある低城へ向かいます。途中、またもや藪で見難いですが堀切があり、低城が正面に見えます。高城から低城までは15分弱で到着。低城から高城が見えます。ここから西に遊歩道が続いていたので下山しましたが、途中、左手に竪堀っぽい所があり、遊歩道を真っ直ぐ行かずに竪堀を下りて行きました。こちらも道があり、そのまま下りたら浄泉寺の西方に出たので、車に戻りやすかったです。
【感想・メモ】

低城主郭


高城主郭

いでんじょう
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建武3(延元元、1336)、位田伊賀守春長が築城した。延徳元年(1489)11月6日、地侍の荻野大槻両氏が時の守護代豊前守元秀、同紀伊守賢家に背き、位田城に拠った。守護方は丹波・但馬・摂津など13カ国の大軍で攻めたが、城方の守りは固く、1年も戦は続いた(位田の乱)。しかし、延徳2年11月10日、城方は城に火を放ち戦いは終わった。元亀3年(1572)、明智光秀によって落城した。
【歴史】

登山道の案内

正面:高城、左:低城

左手の竪堀っぽい所を下山