穴太城
別名 穴穂城、長谷山要害
所在地 京都府亀岡市曽我部町穴太
遺構等 曲輪、天守台、土塁、空堀、土橋
現状 小幡神社の裏山
築城年
築城者 赤沢加賀守義政
歴代城主 赤沢
形式 平山城
訪城日 2006/10/8 感想
神社本殿に向かって左手奥に赤い鳥居があるが、その先に右手へ登っていく道がある。山に入るとすぐに曲輪があるのが分かる。登っていって少し広めの曲輪が三の丸で、土塁が巡っている。その奥にしっかりした空堀があり、土橋もある。ここがこの城で一番見応えがあった。土橋を渡って更に奥へ行くと本丸で、中央の一段高くなっている部分が天守台のようだ。その西側が二の丸で、またまた立派な堀切があった。神社付近は屋敷跡のようで、先程の登り口付近から見下ろすと曲輪と土塁がある。結構お手軽に、色んな遺構が見られて楽しめる。
【感想・メモ】
【道案内】
城跡の地図
京都縦貫自動車道「亀岡インター」をから国道372号で700m程西進して犬飼川を渡り、更に200m程西進した信号を左折します。500m程南下して再び犬飼川を渡る橋の手前右手に小幡神社があります。城跡はこの神社の背後(南西)です。神社に参拝者用無料駐車場があります。

あなおじょう
【歴史】
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天正6年(1578)、赤沢加賀守義政が居城していた。赤沢加賀守義政は、笑路城主・中沢氏と親戚関係にあったといわれる。
登城口
小幡神社裏左手に赤い鳥居がある
この先から右へと山へ入ると城跡