鶏籠山城
登城口の地図
【道案内】
城跡の地図
別名 龍野古城
所在地 兵庫県たつの市龍野町上霞城
遺構等 曲輪、石垣、土塁、空堀、竪堀、碑、説明板
現状 山林
築城年 明応8(1499)
築城者 赤松村秀
歴代城主 赤松、蜂須賀
形式 山城(比170m)
訪城日 2007/3/25
けいろうさんじょう
JR姫新線「本竜野駅」から北西へ約1.2kmにある龍野城の背後の山が城。龍野城に無料駐車場が完備されています。龍野城に向かって左手奥からか、龍野公園から登れ、登城道は整備されています。

【感想・メモ】
龍野城からだと10分程登ると、土塁右の案内がありそっちへ行ったら、右手に竪堀が見え、その先に土塁と空堀があった。そのまま土塁上を歩いて先まで行くと、一段上の曲輪に出た。そこから段郭になっていて、所々に石垣が見える。あちこち見て写真を撮りながら登り始めから30分もしたら、山頂に到着!でも、本丸でなく二の丸だった。本丸はここから5分程歩くが、二の丸よりやや低い。本丸は虎口が石垣になっていてカッコよく、城址碑もあった。また、八幡宮跡や石畳が下にあり、石垣も見られて楽しい。そこから石段を下り、北へ進むと竪堀があり、城域はここまでのようだ。ここから一段上の曲輪へ行ったら、立派な石垣があった。思った以上に広い城域で、見応えのあるお城だ。

【歴史】
明応8年(1499)、赤松一族によって築城され、赤松村秀が初代城主となった。以後、政秀、広貞、広英と赤松氏が4代78年続いた。天正5年(1577)、織田信長家臣・羽柴秀吉が播磨を平定するため、2万の大軍を率いて揖保川の対岸に侵攻してきた。これを見た広英は籠城を覚悟したが、赤松滅亡を憂う家臣の諌めにより城を明け渡し、秀吉の軍門にくだった。開城後、蜂須賀正勝、福島正則、木下勝俊、小出吉政など、秀吉の重臣が代々城主となった。その後、慶長3年(1598)頃に山頂の城を壊し、麓にを築いた。