城跡の地図
養宜館
別名
所在地 南あわじ市(三原町)八木養宜中
遺構等 土塁、横堀、碑、説明板
現状 田、神社
築城年 暦応3(興国元、1340)
築城者 細川師氏
歴代城主 細川
形式
訪城日 2005/1/29
【歴史】

土塁
【道案内】


【感想・メモ】

薬師堂と館跡碑
やぎやかた
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国道28号「養宜上」信号を西へと県道126号に入ります。1km程西進した信号角に「淡路農業技術センター」の案内があるので、そこを右折します。そのまま「淡路農業技術センター」方面へ北上すると、写真のような案内が道に出ています。ここを左折して少し行った右手に「薬師堂」があり、この一帯が館跡です。
薬師堂へと左折する所から、田んぼの周囲に土塁がよ〜く残っています。薬師堂に、養宜館の石碑や説明板などがあり、50m程西方の道路南側に大きな城址碑があります。
案内板と土塁
暦応3年(興国元、1340)、足利尊氏の命を受けた細川師氏が、淡路の宇原兵衛ら南朝方に立川瀬合戦で勝利し、淡路を平定した。師氏は、鎌倉時代の淡路守護であった長沼氏の居館跡といわれるこの地に館を築いた。これが養宜館である。その後、7代に亘り細川氏が淡路守護職を務めたが、永正14年(1517)細川尚春の時、三好之長に攻略され和泉へ逃げた。永正16年、尚春は淡路に戻ったが、之長に殺され細川氏は滅亡した。