於曽屋敷 |
別名 | |||
所在地 | 山梨県甲州市(塩山市)塩山下於曽元籏板 | ||
遺構等 | 土塁、堀、説明板 | ||
現状 | 宅地、於曽公園 | ||
築城年 | 文安年間(1444-49) | ||
築城者 | 於曾四郎光経 | ||
歴代城主 | 於曾 | ||
形式 | 屋敷 | ||
訪城日 | 2002/8/13 | 感想 | △ |
おぞやしき |
JR中央本線「塩山駅」から南へ約250m。国道411号で塩山駅から200m程南下した3本目の路地(駅すぐ南の路地を含めて3本目)を左折します。少し行くと右手に公園があります。この公園付近一帯が屋敷跡です。 |
公園の西側に屋敷が残っています。正面から見る場合は、駅から3本目ではなく、4本目の路地を左折(東へ入る)すると、左手(北側)に見えます。現在も子孫の方が住んでみえるようで、東半分を寄贈してくれたため、於曽公園となっていた。公園には、色んな花が植えられています。屋敷には入れず、外から門を眺め、高台になっている公園を少し散策しました。 |
於曽は平安中期にはじまったが、文安年間(1444-49)、甲斐源氏加賀美遠光の子・四郎光経がこの屋敷を構えた。その後、子孫が於曽氏を継承し、武田信玄の代に板垣氏が継いで活躍した。屋敷跡の規模は東西112m、南北153mで、一部、二重土塁が残っている。 |