御坂城
【道案内】
国道137号「御坂トンネル」を南へ抜けてすぐを左折し、県道708号で山を上がっていきます。「愛宕トンネル」手前(「天下茶屋」有り)左手が登城口で、付近の路肩に駐車できます。
別名
所在地 山梨県富士河口湖町河口
遺構等 曲輪、土塁、横堀、竪堀、堀切、石積み、説明板
現状 山林
築城年
築城者
歴代城主 北条氏
形式 山城(比250m、標1550m)
登城口から御坂峠まで約85分
訪城日 2010/12 感想
【感想・メモ】
御坂峠の東西約700m、南北約500mが城跡で、登城口(標高約1300m)から御坂山(標高1596m)を越え、更に西へとアップダウンしながら進みます。登城口から富士山が綺麗に見えますが、登り始めて20分強でまた富士山が拝めます。そこから30分程で御坂山頂となり、更に10分強で鉄塔が見えますが、ここからも富士山が見えます。あと5〜6分歩くと堀が見えてきて、その先に竪堀や堀切、横堀があります。御坂峠には小屋(廃屋)が建ち、説明板があります。この北西の曲輪には石積みが見られ、下段には虎口もあります。小屋の南西へ進むと、道の北には長大な横堀があり、南にも竪堀や横堀があります。削平された曲輪はほとんど無く、周囲より低い位置に築かれ、峠を守る長大な防塁といった感じです。

峠の北西石積み
登城口
御坂峠
鎌倉街道御坂峠の頂上を中心に築かれ、古くは鎌倉街道の要所として国中地方を守る山砦であった。天正10年(1582)3月に武田氏を滅亡に追いやった織田信長が、同年6月に本能寺の変にて殺されると、甲斐は北条と徳川の争奪の場となった。北条氏は小山田氏の本領であった郡内を制圧し、上野・武蔵方面から甲斐に兵を進め、徳川氏は甲府盆地を中心に国中地方を制圧していった。北条氏は御坂峠に北条左衛門佐を置き御坂城を拡大修築し、徳川は小山城(笛吹市八代町)に陣を構え鳥居元忠を配置した。同年8月、御坂城と小山城の間にある黒駒で合戦となり、北条軍は敗れ御坂城へ後退し、同年10月和議が成立して御坂城は廃城となった。
【歴史】
城跡の地図
登城口の地図

TOPページへ
峠から南西の堀切と土橋
みさかじょう