いさわじんや/はったけごしゅいんやしき
【道案内】
屋敷の地図
八田氏は常陸国宇都宮氏の支流である八田権頭宗綱の末裔とされるが詳細不明である。戦国期に武田氏に仕え、信玄の頃は蔵前衆の要職にあった。家重の時、一宮町末木の地を武田氏から拝領し、姓を末木に改めたが、武田氏滅亡後も徳川家康の庇護を受け、末木政清は八田に復姓した。天正11年(1583)4月兄政清が、同9月には弟新左衛門尉が棟別の免許を受けている。新左衛門尉には男子が無く、政清の二男政俊が両家を相続し名字帯刀を許可され、3400坪の屋敷地が御朱印地として安堵された。現在の八田家屋敷地は御朱印地の西の一画である。(現地説明板参照)

寛文元年(1661)、石和代官所が創立され、代官の平岡勘三郎が陣屋を築いた。この石和陣屋表門を、明治7年(1874)11月払い下げを受けて、八田家の表門としてここに移築した。石和陣屋跡には、現在、笛吹市立石和南小学校が建っている。(八田家書院から南西へ約700m。小学校住所:笛吹市石和町市部720番地)
別名 八田家御朱印屋敷
所在地 山梨県笛吹市石和町八田334
遺構等 曲輪、土塁、移築表門、書院、碑、説明板
現状 八田家御朱印屋敷、公園
築城年 寛文元(1661)
築城者 平岡勘三郎義辰
歴代城主 平岡、末木、八田
形式 陣屋
訪城日 2010/12 感想
八田家の表門は石和陣屋表門を移築したものです。表門を入ると、八田家書院が現存しており、この南側は公園になっていて、表門の北側一画には土塁が残り、説明板があります。
【感想・メモ】

表門


【歴史】
石和陣屋/八田家御朱印屋敷
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JR中央本線「石和温泉駅」から南東へ約700m。石和温泉病院から200m程南の八田家書院や公園が御朱印屋敷で、公園に駐車場があります。

八田家書院