安田城 |
城へ向かう途中、坂を上がりながら左手の山の中を見ると堀切が見えます。上がりきった主郭は城址公園になっており、眺望が良いです。主郭西端から北へ下ると堀切があり、墓地には「曲輪の跡」という表示があります。 |
JR「安田駅」から西へ約800m。国道252号「安田」信号を南西へと県道73号に入り、JRを越え1本目の信号を過ぎた2本目右手路地に「安田城址公園」の案内板があるので、ここを右折するとそこから先は案内があります(右折してすぐ左手が城址公園)。この先は道が狭く急坂となるため、車はこの通り沿い余白に停めると良いでしょう。 |
堀切
主郭
別名 | |||
所在地 | 柏崎市安田城の組 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、堀切、碑 | ||
現状 | 安田城址公園、山林、墓地 | ||
築城年 | 室町時代 | ||
築城者 | 毛利安田氏 | ||
歴代城主 | 毛利安田 | ||
形式 | 山城(比40m) | ||
訪城日 | 2010/9 | 感想 | △ |
やすだじょう |
毛利時元を祖とする越後毛利氏の北条丹後守憲広の次男、修理亮憲朝を祖とし、憲朝は鵜川荘安田条を分与され、地名から安田氏を称した。永正4年(1507)、越後守護・上杉房能と守護代・長尾為景が対立し、房能は関東へ敗走中に自刃した。以後、安田城主・安田広春、子・景元は為景に属した。慶長3年(1598)、上杉景勝の会津移封に伴い安田城は廃城となった。 |