栃尾城
諏訪神社の階段下に城址碑があり、神社には図面付の大きな看板もありました。城跡には表示があり分かりやすいですが、「大空濠」を始め全体に藪で入り込めない状態です。「千人溜り」はとても広く、土塁も分かるのですがやはり藪。二の丸には東屋があり、本丸は整備され眺望が素晴らしいです。本丸の西下にあるトイレの奥へと北へ遊歩道を進むと、本丸下となる付近に腰巻石垣といった感じの石が少し見られ、その先に堀切があり、更に松の丸の背後には「大空濠」(右写真)の続きがあります。この北に三の丸があり、更に堀切、五島丸、堀切が見られ、このお城で一番の見所となる尾根でしょう。また、トイレから少し下り「薬師塔」の表示がある方へと南へ入ると、鋭い堀切を土橋で過ぎて少し進んだ先に狼煙台詰曲輪があり、この背後の土塁が高く、土塁の北端に堀切があるようなのですが酷い藪です。土塁の西側の堀切と土橋はしっかりしていて見応えあります。全体に良いお城なのですが藪で見えない部分が多いのが残念です。
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大空濠

狼煙台詰曲輪

【感想・メモ】

本丸

登城口2の地図
登城口1の地図
栃尾消防署の南側にある「諏訪神社」から登る(登城口1、車は西谷川の東にある「中央公園」有料駐車場を利用)か、城跡北方の県道138号から長峰林道に入り(案内有)林道終点から登ります(登城口2)。林道終点に駐車可能で、7〜8分で本丸です。
【歴史】
上杉謙信が、4〜19歳まで居城した事で有名。正平年間(1346-70)、芳賀禅可が下越後の守護として築城したといわれ、室町時代には本荘氏が歴代城主を務めた。天文12年(1543)、14歳の上杉謙信が兄・長尾晴景の名代として中越地方を平定するため栃尾城から初陣を飾った。慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封後、堀秀治の将・神子田氏が在城したが、慶長15年堀氏の改易に伴い廃城となった。

『図説中世の越後』大家健著 参照
【道案内】
城跡の地図

別名 大野城、舞鶴城
所在地 長岡市(栃尾市)栃尾大野
遺構等 曲輪、土塁、横堀、竪堀、堀切、石垣、碑、説明板
現状 山林
築城年 正平年間(1346-70)
築城者 芳賀氏
歴代城主 芳賀、三条長尾、本庄
形式 山城(比157m)
訪城日 2010/9 感想
とちおじょう