横田城 |
別名 | 会の館 |
所在地 | 長野市篠ノ井会185 |
遺構等 | 土塁、堀跡、碑、説明板 |
現状 | 古殿稲荷社、宅地 |
築城年 | 平安末期 |
築城者 | |
歴代城主 | |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2006/9/17 |
よこたじょう |
JR信越本線「篠ノ井駅」から東へ約750m。国道18号「南警察署西」信号を西へと県道385号に入ります。700m程西進して左手に「篠ノ井病院」を過ぎ、更に100m程西進した路地を左折します。200m程南下した1本目の十字路を右折し、80m程西進すると左手に「横田城跡」があります。周辺は住宅地で駐車場は無いため、近くの余白に停めました。 |
住宅地の中に土塁の一部が残り、そこに古殿稲荷社が祀られています。土塁の前に説明板があり、土塁の上にも説明板がありました。城址碑もあり、かなり仰々しい割には、遺構はこの土塁のみで、ちょっと寂しい気もしますが、これだけ残っただけでもヨシとするかな?といった感じです。 |
平安時代末ごろの築城で、養和元年(1181)木曽義仲が越後の城氏の軍と戦った時に利用し、また北陸を攻め上がるについても、この城を根拠地の一つにした。応永7年(1400)信濃守護小笠原長秀が、無から三視や大文字一揆らと戦った大塔合戦の時も、長秀はこの城にこもっている。川中島の戦の時は甲将原大隅守がこもったと伝える。外堀は南北約180m、東西約230mの短形をなし、その内部がいわゆる環濠集落になっている。内城の部分は約55m四方で殿屋敷と言われ、その西北隅(現在地)に南北10m、東西12m、高さ3mの土塁が残り、古殿稲荷社が祀られている。稲荷社の北には近年まで6m以上の掘があった。この殿屋敷の部分が本郭である。(現地説明板より) |