矢筒城

【道案内】
城跡の地図
別名 福王寺要害、黒川城、牟礼城、室飯城
所在地 飯綱町(牟礼村)牟礼矢筒
遺構等 曲輪、横堀、説明板
現状 山林、公園
築城年
築城者 福王寺氏
歴代城主 福王寺、島津
形式 山城(比50m)
登城口から主郭まで約6分
訪城日 2008/6

信越本線「牟礼駅」から西南西へ約1.2km。国道18号「駅入口」信号を南へと県道60号に入り、左手に牟礼駅を過ぎながら120m程南下して右折し県道60号をキープします。600m程西進して右折し、300m程進むと右手にお城の案内があるので右折すると登城口です。飯綱病院の西方が城跡で、病院も城域でした。
矢筒城は標高566.7mの矢筒山に築かれた。永正10年(1513)、長尾為景の福王寺彦八郎宛の書状に福王寺要害が記されており、この福王寺要害が矢筒城と思われる。永禄から天正年間(1573-92)、夏川・福王寺・堀廻などの地は島津泰忠の本領となり、矢筒城は島津氏の居城となったようであるが、天正年間に福王寺氏も存在していたようで詳細ははっきりしない。天正10年(1582)、織田軍が信濃へ侵攻した際、海津・長沼の武田軍は上杉景勝に救援を要請し、上杉方の援軍は矢筒城で合流し、武田方の長沼城へ入った。同年の武田氏滅亡後、上杉景勝は北信四郡の支配強化のため城を整備拡張した。(『図解 山城探訪 第十二集』参照)
【歴史】
登城口には説明板があり、このすぐ上に横堀が巡っているのですが、藪で見難いです。ここから遊歩道があるので登りやすいです。主郭には忠魂碑が立っており、郭が沢山あるのですが、土塁はありません。城跡には石積みもあるようですが、藪で良く見えませんでした。ただ、特に主郭の東側にある二郭付近には石が所々落ちている所があったり、地面を叩いてみると石が続いている所があったので、藪じゃない季節に行けば石積みも見られるかもしれません。
【感想・メモ】
やづつじょう
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