矢沢城
【歴史】
国道144号「下原」信号を南東へと県道176号に入り、1km程南東へ進んで左折し、県道175号に入ります。すぐの路地を右折して500m程進み、左手に「矢沢公民館」を過ぎて更に200m程東進します。左手に城郭っぽい建物を過ぎて右折し、150m程南下すると、左手に矢沢公園があります。ここが城跡です。駐車場がなかったので、付近の余白に駐車しました。
真田幸隆の弟、矢沢綱頼(頼幸)が居城とした。綱頼は、諏訪神氏ゆかりの矢沢家を継ぎ、幸隆の子・昌幸が上田を領した後はその重臣として活躍した。昌幸の子・幸村(信繁)が越後春日山の上杉景勝に仕えた時は、綱頼の子・三十郎頼定が供をした。天正13年(1585)上田合戦の折は、三十郎がこの城を守り、八百の守兵で依田源七郎ら千五百の軍勢を退けた。その後、矢沢氏は真田信之に従って松代へ移り、矢沢は仙石政勝の領地となった。
城跡の地図

堀切にあった石積み

二郭背後の堀切


【道案内】
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別名
所在地 上田市(真田町)殿城
遺構等 曲輪、堀切、石垣、碑、説明板
現状 矢沢公園
築城年
築城者 矢沢氏
歴代城主 矢沢
形式 山城(比50m)
訪城日 2007/5/25

【感想・メモ】
やざわじょう
公園入口にお城の説明板があり、大日堂から3〜4分登ると「英霊塔碑」がある曲輪に出ますが、この一段下にも曲輪があります。城跡は草が伸びていて石垣があるのが分かりにくいです。段郭を登ると神社があり、ここにも石垣があります。この東側の曲輪が主郭で、主郭から北に二郭が続いています。二郭の背後(北)に堀切があり、そのまま北西へ竪堀となって落ちています。この堀切にも石積みがあります。更に北へ行くと三郭と四郭があり、その間に堀切があります。全体に石垣があるお城のようですが、藪であまり見えず、堀切だけが堪能できるといった感じでした。