山田高梨居館 |
別名 | |
所在地 | 高山村駒場堀之内 |
遺構等 | 碑 |
現状 | 果樹園 |
築城年 | 鎌倉時代 |
築城者 | 高梨氏 |
歴代城主 | 高梨 |
形式 | 館 |
訪城日 | 2008/6 |
やまだたかなしきょかん |
県道54号と66号の交差点から西へと県道66号へ入り、1km程西進して右折します。すぐを左折し、400m程西進して右折します(山田神社の手前の路地)。100m程北上した左手の果樹園付近一帯が館跡です。 |
鎌倉時代から高梨氏の有力な分家である高梨(山田)日向守高朝がこの地に居住した。高朝は枡形城を本城としていたが、文明16年(1484)高野山へ参詣していた留守中に、本家の高梨政盛に城を奪われた。そのため、高朝は高梨村へ落ちたと言われる。(『図解 山城探訪 第十二集』参照) |
果樹園の片隅に標柱が立っているのみです。 |