浦野館 |
別名 | |
所在地 | 上田市浦野 |
遺構等 | 土塁、説明板 |
現状 | 浦里小学校 |
築城年 | |
築城者 | |
歴代城主 | |
形式 | 館 |
訪城日 | 2007/5/25 |
うらのやかた |
国道143号「仁古田」信号から1km程西進した信号を右折し、200m程北上した突き当りを左折すると、右手に「浦里小学校」があります。ここが館跡です。 |
浦野氏は、平安時代末期の1150年頃に祢津氏から分かれ、浦野の地を開発し、阿鳥川から水を引いて開田し、所領とした。鎌倉時代初頭の1190年頃に「浦野」と称し、幕府の御家人となって日吉社領浦野庄の地頭となった。その頃、領地を見渡せる現在の浦里小学校西南部に堀と土塁を巡らせた居館を築いた。南北朝から室町時代に浦野の谷の各地に分族が発展し、諏訪上社との結びつきを深め、「神氏」となった。戦国時代に入るとこの居館を改修して山城に用いた。浦野は天文10年(1541)に村上氏の攻撃を受け、天文22年には武田氏の配下となり、天正10年(1582)武田氏滅亡後は、分族のそれぞれが浦野の地を離れ、真田・北條・小笠原・松平氏などに分かれて仕えた。 |
小学校の南西隅に説明板があり、ここから南北・東西にかけて土塁が残っています。また、土塁に沿うようにある水路は堀跡です。 |