城跡の地図
田口城
私は車で山頂コースの道をとりました。ただ、途中から不安になったため、山頂まで行かずに中腹から15分程歩きました。下がしっかりしているので、林道に慣れた人なら普通車でも山頂まで大丈夫だと思います。が、心配な人はお寺から登った方がいいでしょう。林道を歩いていると、途中から左手が城域だと分かり、道が左急カーブした所から城域に入ったと分かります。この急カーブの西から北へかけて少し曲輪がありますが、城域のほとんどはここから東です。かなり広い曲輪が続き、規模の大きさに驚かされます。ただ、林道が城域の中心を東西に通っていて雰囲気を少し壊している事と、藪で見難かったのが残念!主郭には祠があり、その東には野鳥園だかの小屋やバーベキュー施設があります。その東には土塁や堀切が入り組んでいます。主郭の西や北には段郭が広がっています。
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別名 田ノ口城
所在地 長野県佐久市(臼田町)田口
遺構等 曲輪、土塁、堀切、竪堀、石垣
現状 山林
築城年 戦国期
築城者 田口氏
歴代城主 田口、依田
形式 山城(比163m)
訪城日 2007/5/27
【道案内】
県道120号「原」信号から600m程南東へ進んだ左手に「蕃松院」というお寺があります。このお寺から登城道があるようですが、悪路で途中砂利道もありますが、山頂まで車でも行けます。先程の「原」信号から県道120号で800m程北上して右折します。このまま道なりに林道を進むと山頂にある小屋にたどり着き、すぐ隣が主郭です。山頂に駐車スペースがあります。


【感想・メモ】
たぐちじょう
【歴史】
戦国期、田口氏が築城したと言われる。天文年間(1532-55)、武田氏の佐久侵入により田口城も落城した。天文17年(1548)、武田氏が上田原合戦で敗れた混乱に乗じて田口長能は田口城の回復を図るが失敗し、田口氏は滅亡して相木(阿江木)氏の流れを汲む依田氏が田口城に入った。天正10年(1582)阿江木氏依田能登守が守っていた田口城は、依田信蕃の攻撃を受けて落城し、徳川方の手に落ちた。