塩島城

主郭

看板の背後へ進むと八幡神社があり、神社から南へ進むと日光寺跡です。日光寺跡の北方にはうっすらと横堀があります。更に南へ進むと幅の広い横堀があり、表示板もありますが、堀の中が藪なのが残念!主郭にも「塩島城址」の看板があり、その西側の二郭には説明板があります。この二郭の西に土塁があり、そこから北側にかけて横堀状になっていて、先程の幅広の横堀につながっています。この付近が一番の見所です。横堀を横切って北へ進むと三峰社が祭ってあります。塩島城は遊歩道があるものの道と主郭・2郭以外は藪です。昔、公園整備したものの、その後放置されてしまったといった雰囲気で、、ベンチが朽ちていたりして寂れてしまっているのが残念です。
【感想・メモ】

別名
所在地 長野県白馬村北城字塩島
遺構等 曲輪、土塁、横堀、説明板
現状 山林
築城年
築城者 塩島氏
歴代城主 塩島氏
形式 山城(比55m)  標高713m
登城口から主郭まで約12分
訪城日 2009/10 感想
城跡の地図
【道案内】

しおじまじょう
JR大糸線「信濃森上駅」から東へ約600m。信濃森上駅から県道433号で300m程東進すると県道は鋭角に左折となります。そこを直進し300m程進むと右手に「塩島城跡遊歩道案内図」という看板があります。ここが登城口で、付近に駐車可能です。
戦国時代、信州の地は上杉・武田両氏が激突したが、安曇地方も両勢力の争いの余波を受けて戦乱が絶えなかった。塩島城は姫川を挟んで三方が断崖をなす要害の地で、戦略的には海陸物資交易の路線である千国街道を押さえ、四ヶ庄平を俯瞰する絶好の位置している。仁科氏の家臣・塩島氏が居城したが、弘治元年(1555)武田信玄の武将山県昌景に攻められ、飯森城(一夜山城)と共に落城した。最後の城主は塩島但馬守祐輝といった。(現地説明板参照)
【歴史】
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