大峰城 |
別名 | |
所在地 | 長野市長野 |
遺構等 | 曲輪、堀切、模擬天守、土塁、説明板 |
現状 | 大峰山 |
築城年 | 天文年間(1532-55)初期 |
築城者 | 大峰蔵人 |
歴代城主 | 大峰 |
形式 | 山城 |
訪城日 | 2006/9/16 |
おおみねじょう |
「善光寺」北側の「善光寺北」信号を北上し、道なりにヘアピンカーブを過ぎてから西進します。1.5km程進んで「七曲り」という屋根がついた道を過ぎ、更に850m程坂を上がりながら北上すると道が突き当たるので、ここを右手の「大峰斎場」の表示がある方へ行きます。400m程進んで右折し(ここからは夜間・早朝は車の通行はできないようです。確か、資料館が開いている9:00〜16:30ぐらいが通行可能)、この道の突き当たりまで行くと城跡で、突き当たりに駐車場があります。 |
本丸には模擬天守が建っていて「チョウと自然の博物館」になっています。駐車場の看板にお城の説明もあり、この付近からの眺望が素晴らしいです。駐車場から、山へと上がってきた道を戻ると、すぐに立派な堀切が見られます。道路は後から造られたため、道路の反対側へ目をやると堀切からの延長となった竪堀が落ちているのが分かります。もう少し来た道を戻ると、また堀切が分かります。これらの堀切から郭内へ入ると土塁なども見られ、かなり遺構が楽しめました。 |
大峰城は武田方の旭山城の向城として上杉方が築いた山城で、葛山城主落合備中守の家臣大峰蔵人の城といわれ、築城時は明確ではありませんが、天文年間初期と思われます。天文22年(1553)から5回にわたる川中島合戦で、大峰城を中心とする山城は甲越双方にとって最前線の突破口として、また守備陣地として重要であったため、幾度か争奪戦が行われ、善光寺平一帯は武田方の支配下となり、大峰城も武田方のものとなりました。(現地説明板より) |