名子城 |
名子城は、名子の平を一望に出来る高台に築かれ、段丘崖の先端が唐沢川、大名川の二つの河川によって浸食され、両河川の間に残った幅の狭い台地を一条の堀切で分断した構造である。名子城の築城に関しては詳細不明だが、『尊卑分脈系図』によれば、平安時代末期に南信濃源氏の片切氏の分流が名子郷に分知し、在名をもって名子氏を称したとある。鎌倉時代の名子氏は、春近領内名子郷の地頭代として郷民を支配した。名子城は鎌倉時代から室町時代にかけて名子郷を実質的に支配した名子氏が、非常時に備えて日常の住まい(館)より一段高い要害の地に築いたものと考えられている。名子氏は鎌倉幕府滅亡後は小笠原氏に属し、やがて大島氏の支配下に入り、天文23年(1554)以降は武田氏に従ったが、天正10年(1582)織田信長の伊那侵攻により落城した。 参考資料 「図解 山城探訪」宮坂武男著 現地説明板 |
老人福祉センターが建っているところは二郭だったようで、堀切を隔てた東側が主郭です。主郭は公園となり、西隅には城山稲荷社が祀られ、周囲に土塁が取り巻いています。南側に虎口がありました。また、城跡の東斜面に「城山」と刈り込みがしてあったのが面白かったです。 |
堀切
JR飯田線「伊那大島駅」から北西へ約1km。松川町役場から県道59号で500m程北西へ進み、道が右カーブして唐沢川を渡ってすぐを左折します。250m程西進して左折すると「松川町老人福祉センター」があり、ここから東側の公園一帯が城跡で、老人福祉センターに駐車場があります。 |
主郭
別名 | 城山 | ||
所在地 | 長野県松川町元大島 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、堀切、説明板 | ||
現状 | 公園 | ||
築城年 | |||
築城者 | 名子氏 | ||
歴代城主 | 名子氏 | ||
形式 | 崖端城 | ||
訪城日 | 2011/7 | 感想 | ○ |
なごじょう |