桃井城 |
JR飯田線「伊那大島駅」から東へ約2.2km。天竜川を県道18号「宮ヶ瀬橋」で東へ渡り、300m程南下した「生田発電所前」バス停付近で左折します。道はくねくね蛇行しますが、2km程東進した「部奈辻」バス停付近で左折し、80m程北上して左折します(案内有)。そのまま150m程西進した正面が城跡で、付近に駐車できます。 |
主郭東の堀切
城址碑の背後に立派な堀切があります。この西側が主郭で説明板があり、東側に土塁がありますが、西側一帯は崩落してしまいとても狭いです。南側に道があり、「井戸跡5分」の案内があったのでそちら(西)へ進んだものの、痩せ尾根が続くだけで7分程歩いても井戸は見当たりません。資料を見たら、井戸は案内の反対側にあるようで、堀切の南端から東へ約50mのようです。 |
桃井城は部奈段丘の突端に位置し、北に清水沢、南に城の沢の深い谷に挟まれた天然の要害の地を、南北一条の堀切によって分断した一壕一郭の単純な城跡です。堀切は延長約40m、深さ6〜7mの規模で、堀切と土塁によって東方向からの防御を堅固にしています。城の西側の断崖は長い間に崩落を繰り返したため城跡は縮小されてしまいました。築城に関しては詳細不明ですが、南北朝時代、桃井城東方山中の大河原に東国南朝方の後醍醐天皇の皇子・宗良親王が籠っており、この親王の本拠地大河原を防衛するために南朝方が築いた城砦の一つで、親王を擁護する桃井氏またはその一族が居城したと伝えられます。桃井氏は足利氏の一族で、足利義兼の四男が上野国群馬郡桃井郷にいた関係で、子の頼氏から桃井氏を称したといいます。 参考資料 「図解 山城探訪」宮坂武男著 現地説明板 |
別名 | 落合城、桃ノ井城 | ||
所在地 | 長野県松川町生田 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、堀切、碑、説明板 | ||
現状 | 公園、神社、山林 | ||
築城年 | 南北朝時代? | ||
築城者 | 桃井氏? | ||
歴代城主 | 桃井氏 | ||
形式 | 崖端城 | ||
訪城日 | 2011/7 | 感想 | ○ |
ももいじょう |