久米ヶ城

別名
所在地 長野県飯田市久米字城山
遺構等 櫓、曲輪、土塁、堀切、説明板
現状 山林、城山公園
築城年 南北朝期
築城者 小笠原貞長
歴代城主 小笠原
形式 山城(比130m)
訪城日 2011/7 感想
【道案内】
城跡の地図

【感想・メモ】
くめがじょう
【歴史】
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中央自動車道「飯田山本インター」を下り、「飯田山本IC入口」信号を直進して1本西側の国道153号に突き当たったら右折します。300m程北上して右折し、左手に「山本郵便局」を過ぎ、更に道なりに1.8km程南東へ進んで左折します(城山公園の案内有)。山頂の城山公園まで車で上がりきると城跡で、道路終点に駐車場があります。

主郭北の堀切

駐車場には、「信州のサンセットポイント」と書かれた説明板がありますが、確かに眺めがとても良いです。公園入口には冠木門があり、本丸には櫓が建っています。説明板もあり、その背後には土塁が少しあります。櫓の背後(北)には立派な堀切が2本あります。二の丸は閉鎖した旅館(城山荘)がある所で、その下段が三の丸です。道路を南へ下っていくと左手に竪堀が数本見え、三の丸の下で道路が曲がっている所が堀切です。この南にも曲輪(出丸)がありました。
松尾城主小笠原貞宗の弟・貞長が貞和年間(1345-50)に東平の麦種城、西平の城山の支城として築城した。南北朝・室町・戦国時代と小笠原氏が9代200年続いたが、身内の争いにより松尾城と共に落城したと言われる。