小岩嶽城 |
城址公園という名称になっていますが、結構藪です。整備されているのは駐車場から見える模擬門付近のみ。西へ上がっていくと本郭手前に立派な横堀があり、石積みも見られます。本郭は広く、戦没者供養塔と大きな岩がちらほらあります。この西方の山頂も城跡ですが(詰城)、夕方だったので諦め。本郭から比高200mあります。駐車場の南方にも横堀があり、その西北にも鉤型に折れ曲がった横堀があります。集落内にも堀が残っているとか。。。 |
供養塔
模擬門
別名 | 小岩岳城 | ||
所在地 | 長野県安曇野市(穂高町)穂高有明 | ||
遺構等 | 曲輪、横堀、石積み、説明板 | ||
現状 | 城址公園、山林 | ||
築城年 | 戦国時代 | ||
築城者 | 仁科氏 | ||
歴代城主 | 古厩氏(仁科氏) | ||
形式 | 山城(比40m) 詰城の標高768m | ||
訪城日 | 2009/10 | 感想 | ○ |
こいわだけじょう |
穂高郷土資料館から県道25号で2km程南下し、右手方向に「青原寺」を過ぎてから更に400m程南下して右折すると左手に駐車場があります。この西側が城跡です。 |
戦国時代、北安曇地方に勢力を誇った仁科氏の南に対する重要な拠点だった。天文20年(1551)10月27日、武田晴信(信玄)の軍勢に攻められ放火され、翌天文21年8月12日の激戦で初代城主古厩盛兼は自害し、落城した。天正11年(1583)2月、安曇・筑摩両群の旧領回復を目指す小笠原貞慶が小岩嶽城に攻撃をかけ焼き払い、城は廃城となった。(『日本城郭大系』参照) |