柏鉢城 |
主郭
登城道は整備されていて歩きやすいです。5〜6分程登ると「あと500m」の看板があり、更に10分程進むと土橋上に「あと250m」の看板があります。痩せ尾根を進み、堀切2本を越えた先が主郭です。主郭は東西に細長く、眺望が素晴らしくてとても気持ちよいです。この西側に大堀切があり、この堀切の東北端に井戸があります。この西側が二郭で、その先が三郭となりますが、三郭はとても狭いです。三郭から下ると洞穴があり、ここに祠が祭ってあります。 |
別名 | 天神城、柏丸城 | ||
所在地 | 長野県中条村御山里 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、堀切、碑、説明板 | ||
現状 | 山林 | ||
築城年 | 弘治年間(1555-58) | ||
築城者 | 武田信玄 | ||
歴代城主 | 武田氏 | ||
形式 | 山城(比140m)、標高1054m 登城口から主郭まで約25分 |
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訪城日 | 2009/10 | 感想 | ○ |
かしわばちじょう |
虫倉山の西南尾根に位置する。県道401号「太田上」バス停付近に水車があります(虫倉山の案内板も有)。ここから200m程西進して右折し、道なりに上がっていくと左手に「清水配水池」があります。車はここに停め、100m程上がると左手に登城口の案内があります。 |
登城口
弘治年間(1555-58)、武田信玄が北方防衛の番城として、また戸隠領から信越国境へ進出する武田氏の軍事拠点として築城した。弘治4年(1558)4月、信玄は柏鉢城の篭城衆の番手を定め、室住豊後守、箕輪衆、水上六郎兵衛、坂西氏等を指定している。その後、天正年間(1573-92)上杉景勝が北信濃支配を確立し、北国脇街道を整備したため、この戸隠・鬼無里・柏鉢の交通路は衰退し、柏鉢城の軍事的な意義は無くなった。(現地説明板、『日本城郭大系』参照) |