神之峰城

久堅神社

上久堅郵便局から県道83号で200m程南下して右折します(案内有)。道なりに1.2km程山を上がって行くと、道路終点が「久堅神社」で駐車スペースが十分あります。
【道案内】
城跡の地図

本丸背後の堀切

別名 神之峯城、床山城
所在地 長野県飯田市上久堅下平
遺構等 曲輪、土塁、堀切、土橋、井戸、碑、説明板
現状 山林
築城年 文亀年間(1501-04)
築城者 知久氏
歴代城主 知久
形式 山城(比150m)
訪城日 2011/7 感想

【感想・メモ】
かんのみねじょう
【歴史】
TOPページへ
久堅神社の前に城址碑と説明板があります。本丸は神社の反対側(東)でアンテナが立っていますが、階段を上った所に本丸跡の標柱があります。本丸背後(東)には立派な堀切と土橋があり一番の見所で、この先に二の丸があります。神社の南には矢立岩があり、神社及びその北方は南北に細長い出丸で、北隅は西方への眺望がとても良く、神社北には鞍掛岩という大きな岩に字が刻まれています。また、車で上がってきた道を少し下ると御手洗池があり、更に下ると蔵屋敷があって堀切が見られます。
諏訪氏の分流である知久氏が、室町中期に築城した。知久氏の所領は、室町時代には下伊那郡の竜東一円、更に竜西の一部に及んでいたが、その本拠は神之峰城だった。しかし、天文23年(1554)武田信玄の伊那地方進攻の際、落城した。