城跡の地図
飯田城
別名 三本杉長姫城
所在地 飯田市飯田追手町
遺構等 曲輪、土塁、堀、石垣、門、説明板
現状 市立美術博物館、長姫神社
築城年 建保年間(1213-19)
築城者 坂西長由
歴代城主 坂西、毛利、京極、小笠原、脇坂、堀
形式 平山城
訪城日 2007/4/7
【道案内】

【感想・メモ】
いいだじょう
【歴史】
TOPページへ
JR飯田線「飯田駅」から南東へ約1.2km。飯田市役所東の国道153号「市役所前」信号から200m程北上した2つ目の信号を右折して800m程東進した付近一帯が城跡です。城跡に建つ市立美術博物館に無料駐車場が完備されています。
本丸は長姫神社で、社殿裏手に土塁石垣が残っています。また神社入口に説明板があります。神社と二の丸となる美術館の間に立派な堀切があり(説明板あり)、美術館には二の丸水路などが整備されています。美術館の西端を北へ下っていくと水の手御門の石垣があり、飯田駅の南側には外堀跡があります。美術館の北西にある市立図書館の西側には通称赤門と呼ばれる桜丸御門があり、門のすぐ側に古井戸もあります。また、上郷別府にある「経蔵寺」の山門は脇坂時代の桜丸の門で、赤門が建てられた際、家老の安富氏の屋敷に移築されていたものです。そして、松尾久井の「龍門寺」南側にある民家には二の丸御門(八間門)が移築され、この木下家は藩主の主治医だったようです。移築門は他にも追手町の民家に二の丸取締所門があります。城跡の南側から見ると、かなり高台にあることが分かります。
建保年間(1213-19)、この地の地頭となった坂西長由が築城した。天文23年(1554)、武田信玄が伊那侵攻し、永禄5年(1562)に伊那郡代となった秋山信友が城を大改修した。天正10年(1582)武田氏滅亡後、伊那10万石の領主として毛利秀頼が入城し、文禄2年(1593)、秀頼の次の城主・京極高知が飯田城を近世城郭へと改修した。慶長3年(1600)関ヶ原合戦後、城主は小笠原秀政・脇坂安元・安政と続き、脇坂氏が播磨龍野へ移封となると、寛文12年(1672)堀親昌が下野烏山より入封し、以後堀氏が代々続いて明治を迎えた。
桜丸の門(通称赤門)
桜丸二の門
二の丸御門
神社裏手の土塁石垣
経蔵寺の地図
八間門の地図