平倉城
遊歩道案内板から登城口へ向かう途中、「切った屋敷」の説明板があります。登り始めてすぐに神社があり、左へ進みます。そこから15分程登ると堀切があり左上に鉄塔が見えますが、右手へ進みます。更に10分程で木の下に祠(秋葉社)が祭ってあり、そこから2〜3分で上の写真の郭に出ます。ここがこのお城で一番広い郭のようで、城址の標柱や説明板があります。ここから山頂までまだ比高50m程あります。一段上が平倉神社跡で、そこから岩場の堀切を過ぎ狭い尾根を登ると山頂です。山頂は眺望が良いもののとても狭く、首かくしの洞穴と呼ばれる石棺のようなものがあります。主郭はこの山頂?平倉神社がある付近?良く分かりません。広い郭から南へ下りて行くと段郭があるもののかなりな藪。櫓台がある郭まで見たものの、藪がきつくなってきたので撤退しました。遊歩道があって歩きやすいものの、あまりお城の雰囲気が感じられませんでした。
【感想・メモ】

登城口

登城口の地図

広い郭

岩場の堀切

別名 小谷城、白米城
所在地 長野県小谷村中土平倉山
遺構等 曲輪、堀切、碑、説明板
現状 山林(平倉山)
築城年
築城者 飯森氏
歴代城主 飯森氏
形式 山城(比280m)  標高823m
登城口から山頂まで約40分
訪城日 2009/10 感想
城跡の地図
【道案内】

ひらくらじょう
JR大糸線「中土駅」から北へ約1.6km、国道148号「平倉トンネル」のすぐ北側の平倉山が城跡です。国道148号「平倉トンネル」と「中土トンネル」の間にある「小谷温泉口」信号を東へと県道114号へ入り、すぐにトンネルを2つ抜けて更に200m程東進して左折し(角に城の遊歩道案内板有)黒倉集落へ向かいます(ここから要所に案内有)。300m程北上した突き当りを左折し、坂を上がっていくと左手に遊歩道入口の標柱があり、登城口前に駐車スペースがあります。
【歴史】
平倉城は、姫川右岸に位置し、平倉山の南面中央から西斜めに三段の郭が構築されている。応永年間(1394−1428)頃、小谷七カ村の領主飯森山城守平朝の家臣・盛照が在城した。戦国時代には武田・上杉両氏の抗争が続いたが、弘治年間(1555-58)武田氏の信州侵攻の際、飯森城(一夜山城)が武将山県昌景によって落城し、城主飯森日向守十郎はここ平倉城に逃れた。しかし、弘治3年(1557)城主盛春以下は討死にし、城は落城した。(『日本城郭大系』、現地説明板 参照)
TOPページへ