城跡の地図
和田山城

城跡は史跡公園の中にありますが、この公園は広く、あちこちに古墳があります。公園の南側の小山の古墳上に城跡はあり、公園駐車場より市立歴史民族資料館から行った方が近いです。資料館の前の通りから登ると古墳や大きな忠魂碑があり、そこから右手(南)へ行くと空堀が見えます。空堀の前にお城の説明板があり、城跡内には散策路が設けられ、「虎口」「二の丸」など各所に表示もあって親切です。二の丸には櫓台があり、二の丸から枡形を通って本丸へ入ると本丸にも櫓台があります。また、本丸は土塁のようなもので二重に仕切られています。全体に、古墳が国史跡指定されているため良く整備されています。
別名
所在地 石川県能美市(寺井町)和田町
遺構等 曲輪、土塁、空堀、櫓台、説明板
現状 和田山末寺山史跡公園
築城年 永正3(1506)
築城者 和田坊超勝寺
歴代城主
形式 山城(比27m)
訪城日 2007/7/26
【道案内】

【感想・メモ】

空堀
わだやまじょう
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市役所寺井庁舎から県道4号で700m程北東へ進んだ「寺井北」信号を右手前方の道へ入ります。80m程東進して右手の道へ進み、更に100m程進むと、左手に「市立歴史民族資料館」があります。車はここに停めさせて頂き、その30m東に和田山末寺山史跡公園の入口があるので、ここから登ると城跡です。
【歴史】
和田山城は、室町中期に加賀一向一揆で活躍した和田坊超勝寺が築城したといわれ、それが和田山の地名の発祥といわれる。現在の山城の形式は、天下統一を目指す織田信長の武将・柴田勝家が、天正8年(1580)、家臣の安井家清に守らせた頃に完成したと思われる。和田山城は、南加賀の重要な戦略拠点に位置し、一揆軍の立て篭もる虚空蔵城や鳥越城攻撃の基地に使われたのであろう。