金吾城 |
別名 | 金ヶ城、敷地城 |
所在地 | 加賀市大聖寺岡町 |
遺構等 | |
現状 | 山林 |
築城年 | 弘治元(1555) |
築城者 | 朝倉教景 |
歴代城主 | 朝倉 |
形式 | 山城 |
訪城日 | 2006/3/26 |
きんごがじょう |
JR北陸本線「大聖寺駅」から北西へ約1.2km。県道145号「敷地東」信号から150m程西進して右折し、中央公園へ向かいます。400m程進んだ(中央公園入口200m程手前)路地を左折し、200m程行って左カーブし、200m程進んで右カーブし、300m程行って左に曲がる感じとなり、そこから左カーブで半円を描く感じで道なりに進みます。100m程西進すると左へと入っていく路地があります(路地入口はチェーンをかけられるようになっています)。この道を行った頂上が城跡です。 |
奥へ行ってみると「加賀クラブ」と書かれた建物と、もう1つ建物がありました。平坦地はコンクリートで固められた部分が多く、ここが城跡だったの??といった感じです。詳細な住宅地図と睨めっこするとここかこの奥が主郭だったと思われるため奥へ行こうと思ったら、すごいブッシュでとても入り込めませんでした。うーん遺構は何もないなぁと思って帰りました。 |
弘治元年(1555)、朝倉教景が越前守護・朝倉義景の命で、加賀一向宗徒を討つため、この地に築城した。加賀一向勢が拠点としていた津葉城、南郷城、千足城の3城のうち、朝倉勢は津葉、南郷城を落としたが、千足城攻略に手こずった。金吾城はこの攻略の際、朝倉軍の本営となった。また、金吾城からはこれら3城を望める位置にあった。 |