【歴史】
甲山城
【道案内】
城跡の地図
「兜小学校」から北へ約1.2kmで、県道34号が大きく「コ」の字型に曲がるが、この県道に囲まれた西側が城跡です。城跡の南側道路沿いにお城の説明板があり、この付近に駐車可能です。

説明板

甲山城は、西から東に向かって伸びる出崎丘陵を利用して築かれ、東西約450m、南北約200mの規模である。戦国末期、平楽右衛門尉が築城したといわれ、天正4年(1576)、越後の上杉謙信による能登攻略の際、落城した。以後、越後の将で轡田肥後・平子和泉・唐人式部が置かれたが没落し、天正8年、前田利家の支配下となった。

空堀

県道34号「コ」の字部分の北東に、民家と民家の間に山へ入っていける道があったので、最初、そこからアプローチしました。うっすら道らしきものがあり、右手前方に「城ヶ高」と呼ばれる曲輪の切岸が見えたものの、かなりな藪で途中から進めなくなりここから入るのを断念。今度は、「コ」の字の南側へ行ったら、道路沿いに墓地があり、その付近にお城の説明板がありました。墓地付近から北へ入ったら堀が見えたものの、またもやひどい藪に阻まれ入れず。80m程西側にある墓地と田んぼの間に北へと入っていける道があったのでそおっから城跡へ入ろうとしたら、田んぼの奥に土塁と空堀が残っていました。その付近から東へ入ると城跡ですが、またしても背丈以上の藪だったので、諦めました。
別名
所在地 穴水町甲字大甲
遺構等 曲輪、土塁、空堀、堀切、説明板
現状 山林
築城年 戦国末期
築城者 平楽右衛門尉
歴代城主 平楽
形式 平山城(比15m)
訪城日 2007/7/28
【感想・メモ】
かぶとやまじょう
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