天筒城 |
別名 | 天筒山城 |
所在地 | 敦賀市天筒 |
遺構等 | 曲輪、堀切 |
現状 | 城山公園 |
築城年 | |
築城者 | |
歴代城主 | |
形式 | 山城 |
訪城日 | 2005/9/24 |
てつつじょう |
国道8号(敦賀バイパス)で「樫曲トンネル」を南へ抜けたらバイパスから下りて、信号を右折し県道476号に入ります。「天筒山トンネル」を過ぎ、敦賀港貨物線を横切って150m程北上したら右折して(信号より手前)、再度、貨物線を横切ります。そこから100mも東進すると左手に天筒山の登り口があります。登り口手前に駐車場があります。 |
天筒山山頂まで車で行けるラクラクなお城と思っていったら、入口に「車輌通行止め」と書かれ、入れないようになっていました。山へ登って行く人や戻ってくる人が多く、どうやら地元のハイキングコースになっているみたいです。これだけ大勢の人が歩いているから、車が通ると危険なので、車輌は通行止めになったのかも?戻ってきた人に山頂までの所要時間を聞いたら、20分程度とのことだったので、せっかく来たのだし信長の越前侵攻ルートだからと登る事にしました。車で登れると思ったのに、歩く羽目になったためか?気力がイマイチ充実せず、しんどいなぁと思うのみ。やっと山頂へ着いても、円柱の展望台が目にとまるのみ。ベンチが海に向かってあったので、そこで一休みしました。そこから奥へ一段下がると、「見晴らし台跡」の説明板があり、確かに木が全部なければ、すごく見晴らしがいいだろうなぁと納得。帰りは、少しの区間違うルートを通って堀切を確認し、戻りました。本当はここから金ヶ崎城まで歩くルートもあるので、そちらを行った方が楽しいかも? |
南北朝期、金ヶ崎城に篭る新田義貞と争った足利軍が対峙した。元亀元年(1570)、織田信長の越前侵攻の際、越前の入口である敦賀で、郡司を務めていた朝倉中務大輔景恒が金ヶ崎城に立て篭もり、天筒城には寺田采女正を守備させ信長に対した。そこで、織田軍は一斉に天筒城を攻撃し落城させた。天筒城の落城と援軍到着の遅れで不利を悟った景恒は、金ヶ崎城を開城して織田軍に渡し退出した。ところが、突然浅井長政が離反したため、信長は敦賀を 身一つで脱出し、京都に逃げる羽目となったが、開城に追い込まれた景恒は自責の念から永平寺に入り、失意のうちに病没した。その後、天筒城は廃城となった。 |
主郭にある展望台 |