杣山城 |
別名 | |
所在地 | 南越前町(今庄町)阿久和 |
遺構等 | 曲輪、堀切、土塁、碑、説明板 |
現状 | 杣山(山林) |
築城年 | 14世紀 |
築城者 | 瓜生衝 |
歴代城主 | 瓜生 |
形式 | 山城(比402m) |
訪城日 | 2005/9/25 |
そまやまじょう |
西御殿の土塁 |
国道365号から東へと県道137号に入り、日野川を渡り、北陸自動車道をくぐります。そこから400m程東進すると右に入る路地があり、角に杣山城の案内があります。ここを右折してあとは道なりに行くと、集落を抜け、山道になります。この道の突き当たりからだと山の中腹まで車で登れるため、主郭へ行くには一番楽かと思います。他にも、「花ハス公園」付近からの登山道、「花ハス公園」より900m程手前(西)で「真光寺」から東へ300m程行った付近にも登り口があります。 |
一番距離が短くて楽そうな、途中まで車で行けるルートから登りました。駐車場から、いきなりかなり急な階段をひたすら登り続けます。登山道はしっかりしているけど、これがキツイ!やっと一山登り終え、尾根道を少し下ったり平坦な道を行って、そこからまた登りが続きます。やっと西御殿のすぐ手前の広い曲輪に到着したのが、登り始めてから25分。この付近はガスっていて、雲の中にいる感じ。そこから西御殿はすぐです。西御殿には、土塁が残っています。そこから主郭へは約10分。堀切を越え、袿岩を横目に通り過ぎ、更に堀切を越えて行くと主郭です。主郭には色んな碑があり、一段下には帯曲輪がありました。登りはしんどかったけど、下りは滑りやすい所があるので足元に注意しました。 |
14世紀、杣山庄の地頭・瓜生氏が築城した。南北朝の争乱期である延元元年(1336)から3年間に亘り、越前における南朝方の拠点として、金ヶ崎城から脱出した新田義貞・義助兄弟が篭城したが、その後北朝方によって攻められ落城した。戦国時代は、朝倉氏家臣・河合宗清が居城した。朝倉氏滅亡後の天正2年(1576)、越前の一向一揆勢がこの城に立て籠もったが、織田信長の越前平定の際に落城し、廃城となった。 |
堀切(土橋) |