城跡の地図
燧ヶ城
別名 燧城
所在地 福井県南越前町(今庄町)今庄
遺構等 曲輪、土塁、堀切、石垣、碑、説明板
現状 城址公園
築城年 寿永2(1183)
築城者 仁科守弘
歴代城主 仁科
形式 山城(比140m)
訪城日 2005/10/10
【道案内】

【感想・メモ】
ひうちがじょう
【歴史】
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縄張図(現地説明板より)
登城口は何箇所かありますが、JR北陸本線「今庄駅」から南西へ約250mの観音堂または新羅神社が分かりやすいです。今庄駅から南西へ120m程進んで左折し、約100m旧街道今庄宿を進むと道路右手に「観音堂 燧ヶ城跡 高倉山登り口」の標柱が立ち、駐車場にお城の説明板があります。この奥の観音堂または、すぐ南東の新羅神社が登城口で主郭まで約20分です。
観音堂に城址まで0.5kmの案内があり登り始めたら、途中、城址まで1kmの案内があったので、エッ?距離が増えてるとびっくり。どっちが本当だろう?と思いながらも登っていくと、今度は蜂の巣があるから注意の案内が。ドキドキしながら通ったけど大丈夫でした。立派な竪堀が見えてきてスゴイと思うも、草木が沢山あって写真ではただの藪。この竪堀は堀切の所から落ちてきています。石垣も数ヵ所ある上、趣のある石段もあって楽しめます。主郭には城址碑があり、その奥には堀切があり、土橋がカッコいいです。写真を撮ったり、竪堀を見に行ったりしながら主郭まで20分だったので、距離は0.5kmの方が正しい?
寿永2年(1183)、平維盛の軍を討つため、木曽義仲が仁科守弘に命じて築城させた。そして、6千余騎を率いて立て籠もったが、援軍に来た平泉寺長吏斉明が平家側に内通したため、燧ヶ城は落城した。その後、南北朝時代には、今庄入道浄慶が居城し、足利軍に属して新田義貞を攻めた。天正3年(1575)、一向一揆の際には本願寺坊官の下間頼照等が立て籠もったが信長軍に敗れ、天正11年、賤ヶ岳合戦の際は柴田勝家が自らここを守った。
土橋
登城口の地図