遺構は何もありません。台場は南北約44間、東西約18間の長方形で、周囲を土塁で囲み、西南の外、下に幅2間、深さ2尺の空堀を設けており、西南と南東の塁下には海に向かって急な崖が落ちていたとのことで、もともとの地名は炭焼沢と言ったようです。この「炭焼沢」は津軽、南部辺りの農民が海を越えて入り込み、樹木を伐採し、炭を焼いて持ち帰ったという言い伝えからきているとのことですが、市町村合併等により、この地名もなくなってしまいました。 |
白神台場 |
別名 | |
所在地 | 松前町白神 |
遺構等 | |
現状 | 白神岬灯台 |
築城年 | |
築城者 | |
歴代城主 | |
形式 | 台場 |
訪城日 | 2008/7 |
しらかみだいば |
白神岬の北側高台に白神灯台があります。この付近が台場跡のようです。 |
いつ構築されたがはっきりしないが、文化6年(1809)の記録に、三貫五百目の唐銅筒一挺、木砲二門を備えていたと記載されているとのことで、天保15年(1844)の松前藩の調書には一貫目と五百目の火砲二挺を備え、二騎と徒士二名、足軽二名を在勤させたと記されている。 |