一本木台場 |
別名 | |
所在地 | 函館市若松町 |
遺構等 | |
現状 | 道路 |
築城年 | |
築城者 | 旧幕府軍 |
歴代城主 | 旧幕府軍 |
形式 | 台場 |
訪城日 | 2008/7 |
土方歳三最期の地について:新撰組副長・土方歳三は鳥羽伏見の戦いの後、新撰組を率いて各地を転戦して北上し、仙台で旧幕府海軍副総裁・榎本武揚が指揮する脱走艦隊と合流した。明治元年(1868)10月、蝦夷地(北海道)に上陸した榎本軍は箱館を占拠して新政権を樹立、土方はその陸軍奉行並の要職についた。明治2年4月、新政府軍の総攻撃に榎本軍は各地で敗退したが、土方が守った二股口だけは最後まで落ちなかった。しかし、同年5月11日、箱館も政府軍の手に落ち、箱館奪回を目指した土方は50名の兵を率いて一本木の関門を出て箱館の市中へ向かい、敢然と切り込んでいった。その際、銃弾に当たって倒れ、35歳の生涯を閉じた。(現地説明板参照) |
いっぽんぎだいば |
函館駅から北東へ約500m。 |
総合福祉センターの東側、八幡通り西側に若松緑地という公園がありますが、この南側に土方歳三最期の地の石碑があります。この横に一本木関門という冠木門が復元されており、この一本木関門から箱館市中へ切り込んだのが土方の最期といわれています。台場は一本木関門付近の海岸に築かれていたようで、実際にはここから西側の国道5号付近にあったようです。 |