弁天台場 |
別名 | 弁天岬台場 |
所在地 | 函館市入舟町 |
遺構等 | 碑、説明板 |
現状 | 函館ドック |
築城年 | 元治元年(1864) |
築城者 | 江戸幕府 |
歴代城主 | 江戸幕府、旧幕府脱走軍 |
形式 | 台場 |
訪城日 | 2008/7 |
べんてんだいば |
市電「函館ドック前」駅から北へ約200m。 |
西洋列強からの圧力が増してきた江戸末期に、幕府は蝦夷地を2度目の直轄領とした。安政元年(1854)、箱館奉行竹内下野守と堀織部正は、箱館の警備について幕府へ上申し、弁天台場を築造した。台場は安政3年、10万両の予算で現在の函館どっくの一角に着工された。設計・監督は五稜郭と同じ武田斐三郎によるもので、不等辺六角形(周囲約684m、面積約32340平方メートル)をした台場は、元治元年(1864)完成した。箱館戦争の時、台場を占拠した旧幕府脱走軍は、新政府軍と砲戦を展開したいが、新政府軍に圧倒され、明治2年(1869)5月15日、台場に籠城していた箱館奉行永井玄蕃ほか約240名が降伏した。台場はその後、弁天砲台として陸軍省の所轄となり、函館砲隊が守備していたが、明治29年、港湾改良のため取り壊された。(現地説明板参照) |
台場跡は函館ドック造船所になっています。市電の始発・終点となる「函館ドック前」駅から北へ200m程行くと函館ドックに突き当たりますが、この前に碑があります。この付近が台場の中心部だったようです。また、函館ドック前駅のすぐ南にある公園には説明板があります。 |