竹ヶ鼻城 |
別名 | |
所在地 | 羽島市竹鼻町 |
遺構等 | 碑、説明板 |
現状 | 宅地、畑 |
築城年 | 応仁年間(1467-69) |
築城者 | 竹腰尚隆 |
歴代城主 | 竹腰、長井、伊木、森寺、不破、杉浦 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2005/7/2 |
たけがはなじょう |
名鉄羽島新線「羽島市役所前駅」から北へ約400m。県道46号「竹鼻町大西」信号を北東へと県道151号に入ります。300m程進んだ1本目の信号「丸の内2」を右折し、250m程東進した路地を左折して200m程北上すると、通りにぶつかります。このぶつかった道の向こう側正面付近が城跡です。 |
城跡は既に全壊しており、何も残っていません。ただ、城跡から東へ300m程行った所に「歴史民俗資料館」があり、この資料館に向かって右手に、ひっそりと城址碑と説明板があります。碑はよく見ると「本丸之趾」となっていますが、竹ヶ鼻城の場所は実際には明確になっておらず、最近の研究では、この碑がある付近が本丸では?という説もあるからとのことです。また、資料館の裏手の駐車場にこの付近の案内図が載った看板がありますが、この駐車場の後ろの溝が堀跡とのことです。 |
応仁年間(1467-69)、竹腰尚隆が築城した。天正9年(1581)、城主・不破源六が一時荒廃していた城を拡充したが、天正12年、小牧長久手の戦いで豊臣秀吉の水攻めに遭い降伏した。最後の城主・杉浦五左衛門は岐阜城主・織田秀信に属したが、慶長5年(1600)、関ヶ原の合戦で東軍の攻撃に遭い、城は炎上し、五左衛門は自害して、廃城となった。 |
堀跡 |