高桑城
別名
所在地 岐阜県岐阜市柳津町高桑2丁目216
遺構等 説明板
現状 畑、林
築城年 鎌倉初期
築城者 高桑氏
歴代城主 高桑、武山
形式 平城
訪城日 2007/9/29

【道案内】
城跡の地図
【感想・メモ】
たかくわじょう
【歴史】
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県道1号「足近町2」信号を西へと県道165号に入り、1.5km程西進した「東小熊」信号を右折して、県道165号をキープします。500m程北上して「境川」を渡り、渡ってすぐを右折して堤防道路を100m程東進すると、道路沿い右手に説明板があります。この付近が城跡で、堤防の南下が公園となっており、この公園に駐車可能です。

説明板の背後に林や畑があり、説明板に土塁が残ると書いてあったので、この林辺りかなぁと見ていたのですが、よく分かりませんでした。境川を渡った通りを更に150m程北上した左手に「慈恩寺」があり、このお寺の観音堂の石垣は城の石とのことです。丸っこい石で川の石のようです。
鎌倉初期(1190年代)に高桑氏が築城した。この城は土塁で築かれ、周囲約400m、その北西には御館様と呼ばれる城主高桑氏の住居があった。大永7年(1527)8月、留守居役の武山氏に渡り、永禄10年(1567)織田信長によって落城した。