大井城 |
別名 | |
所在地 | 恵那市大井町城畑内城 |
遺構等 | |
現状 | 大井小学校 |
築城年 | 永享7(1435) |
築城者 | 原秀行 |
歴代城主 | 原、小笠原、遠山 |
形式 | 丘城 |
訪城日 | 2005/5/28 |
おおいじょう |
JR「恵那駅」から東へ約800mの所。中央自動車道「恵那インター」を降り、県道68号を恵那市街方面へ向かいます。800m程行った信号を左折して、県道66号に入ります。1.5km程行くと左手に「大井小学校」があります。この小学校が城跡です。 |
少し高台になっていて何となく雰囲気はあります。しかも、小学校の校舎が櫓っぽくなってたりして面白い!校門を入った正面に、この小学校の由来条目なんてのがあるのですが、1条目の書き出しに「大井小学校の地は大井城の跡地」と記されています。学校の前の通りは中仙道で、古い宿場町の雰囲気が残っています。中でも、大井宿本陣跡は見所です。 |
築城者などは不明だが、大井遠江守行秀が城主だった。応仁の乱における西軍の重鎮は美濃国守護・土岐成頼で、成頼が在京中に留守をしたのが守護代・斉藤妙椿だった。文明5年(1473)、山名宗全が没した後、妙椿は京都へ入った。東軍は、この美濃勢を牽制するため、信濃国松尾城主・小笠原家長に木曽福島の木曽家豊と一緒に東美濃へ出兵するよう命じた。その際、先に斉藤氏に敗れた西美濃の富島氏が近江の京極氏の援助を得て、西から土岐氏を討とうとした。そのため、大井城は落城した。天文年間(1532-55)、小笠原氏が恵那中部を占領した。 |
大井小学校 |
大井宿本陣跡 |