黒野城
城跡公園として整備されていますが、曲輪内は野球場になっていました。周囲に、堀と土塁がよく残っていて、かなり見応えがあります。思わず土塁上をぐるりと一周して、堀と土塁を堪能しました♪また、公園から北へ約300mにある「多賀神社」の北側には、東西400m程の堀跡があります(多賀神社北西約200mにある熊野神社南付近から東へ約400m続く)。また、この堀跡の東端から水路になった付近の南側には土塁もあります(「超勝寺」から北西約100m)。

土塁

【感想・メモ】
県道77号「正木」信号を西へと県道78号に入り、伊自良川を「繰船橋」で渡り、1.5km程西進すると(途中から県道91号になる)、右手に「KVK」工場があります。この工場を過ぎてすぐの路地を右折すると、右手に黒野城があります。城跡の西側から入ることになりますが、入ってすぐの城址碑付近に駐車可能です。
文禄3年(1594)、加藤貞泰が築城した。貞泰は関ヶ原の戦いで東軍に属して本領を安堵され、慶長15年(1610)、2万石を加増され伯耆米子城へ転封となった。それに伴い黒野城は廃城となった。
【歴史】

堀跡

城跡の地図
【道案内】

別名 城藪
所在地 岐阜市黒野
遺構等 曲輪、堀、土塁、碑、説明板
現状 黒野城跡公園
築城年 16世紀
築城者 加藤貞泰
歴代城主 加藤貞泰
形式 平城
訪城日 2007/9/29
くろのじょう
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