美濃北方城 |
別名 | |
所在地 | 北方町地下249 |
遺構等 | 碑、説明板 |
現状 | 宅地 |
築城年 | 14世紀 |
築城者 | 北方頼興 |
歴代城主 | 北方 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2004/4/4 |
みのきたかたじょう |
国道157号「又丸村東」信号から1つ西の信号を越えると、左手にJOMOのガソリンスタンドがある所で、国道はやや右手に曲がります。ここを、直進(西進)する道があるので、ここから国道をはずれ、直進します。1つ目の信号を越えて少し行くと、T字にぶつかるので、左折し大井神社を左手に南下していくと、この道沿いの左手に朽ち果てた「北方城」の案内があるので、そこを左折して道なりに行くと、北方城の石碑と案内板が目に飛び込んできます。 |
以前は竹やぶだったようなのですが、竹を全部伐採したばかりのようで、石碑などが見やすくなっていますが、遺構らしきものは発見できませんでした。 |
美濃国二代守護・土岐頼遠の四男・頼興が築城した。頼興はこの地に住み、北方四郎と称した。その後、安藤氏の居城となったが、織田氏と武田氏が対立していた天正8年(1580)、守就の子・尚就が内通した嫌疑をかけられ領地を没収された。天正10年、織田信長が本能寺の変で死ぬと、安藤氏が再びこの城へ入ったが、稲葉一鉄に攻められ戦死し、稲葉氏が領した。 |