北方城 |
別名 | |
所在地 | 揖斐川町北方 |
遺構等 | 曲輪、碑、説明板 |
現状 | 城山公園 |
築城年 | 建武・延元(1334-40) |
築城者 | 吉田休三入道 |
歴代城主 | 吉田 |
形式 | 山城(比130m) |
訪城日 | 2006/12/30 |
きたかたじょう |
国道303号を揖斐川町中心部から北西へ進んだ場合、右手に「北方小学校」を過ぎて右折し、200m程進んで道が二手に分かれるので右折します。そこから250m程北上すると城山公園への入口が左手にあります。左手前方向に戻るように左折して、道なりに上がっていくと、終点が公園になっており、ここが城跡です。道路終点付近の余白に駐車しました。 |
車で上まで行けるらくらく山城です。公園へと上がっていく途中に、お城の説明板があります。道路終点には立派な城址碑がありますが、主郭にも城址碑がありました。主郭からの眺めは良いですが、お城としては公園整備の際に改変されたようで、遺構は楽しめません。段郭の跡らしいのが分かる程度です。 |
建武・延元(1334-40)頃、吉田休三入道が築城した。建武3年(1336)、後醍醐天皇が再び叡山に行幸せられ、叡山をもって南朝の策源地とせられた。越前金ヶ崎城が落ちると、新田氏の一族・堀口美濃守貞満は根尾谷に退き、根尾城主・根尾入道貞氏、岐礼の豪族・山本貞元、北方城主・吉田休三入道、長峯城主・山岸新左衛門光頼等に相呼応して北朝に抗し、美濃の土岐氏と戦った。 |