十七条城
北の丸 バッタモノ石垣
【歴史】
樽見鉄道「美江寺駅」から南南西へ約1km。美江寺駅南西約400mにある中小学校の西側道路を700m程南下して浄蓮院が角にある交差点を右折します(ここを直進した50m先左手に十七条公民館があり、ここに駐車すると良いです)。100m程西進した2本目の路地を左折し、70m程南下して右折した左手民家付近が城跡です。
本丸は個人宅となり、周囲に堀が残り、城址碑が生垣の中に隠れてあります。また、個人宅付近に土塁のようなものもあります。ここから北西120mにある熊野神社に城についての説明板があり、神社の南東が北の丸、その東が三の丸で、本丸の南東が二の丸です。熊野神社から東へ歩くとすぐ右手に、ちょっとした櫓台のような石垣が見えます。わざわざ城があった事が分かるように作ってくれたのか?ここが北の丸だったようです。
【感想・メモ】
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南北朝初め、土岐頼貞の子・舟木頼胤が築城した。その子・武藤頼実が戦死した後、二階堂氏2代を経て仙石秀豊が入った。しかし、嘉吉2年(1442)、病死したため、和田利詮が入り、永禄年間から林氏が3代居城した。3代目・正三の子・市助が稲葉重通の養子となり稲葉正成と改名し、徳川家康に仕えた。その子・正定は尾張徳川義直に属し、旧領である十七条千石を与えられ居住したが、延宝3年(1675)、城主であった孫の七郎左衛門が病死し、跡継ぎがなかったため御家断絶となった。領地は尾張藩のものとなり、城は廃城となった。

城跡の地図
【道案内】
別名
所在地 岐阜県瑞穂市(巣南町)十七条256
遺構等 曲輪、土塁、空堀、碑、説明板
現状 熊野神社周辺
築城年 14世紀前半
築城者 船木頼胤
歴代城主 船木氏
形式 平山城
訪城日 2010/9 感想
じゅうななじょうじょう