十九条城
別名
所在地 岐阜県瑞穂市(巣南町)十九条
遺構等 堀跡、説明板
現状 津島神社
築城年 永禄4(1561)
築城者 織田勘解由左衛門信益
歴代城主 織田勘解由左衛門信益
形式 平城
訪城日 2010/9 感想

【道案内】
城跡の地図

【感想・メモ】
じゅうくじょうじょう
【歴史】
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樽見鉄道「十九条駅」から南南西へ約300m。十九条駅南方の県道204号で樽見鉄道の線路を西へ横切り、80m程東進した1本目の路地を左折、80m程南下して左折し、クランク状に進むと右手に「津島神社」があります。ここが城跡で、神社に駐車可能です。

堀跡

神社に説明板があり、神社のすぐ北側に堀跡があります。また、線路を渡ってすぐ右手に見えた「念瑞寺」は二の丸だったようです。
永禄4年(1561)5月、織田信長が西濃に入り、墨俣の要害を固めて滞在していたが、斎藤氏が軽海へ出兵して備えを固めたため、西軽海で戦闘となった。その後、斎藤方は引き上げたが、信長は墨俣城だけでは不十分とし、十九条村に城を築き、一族の織田勘解由左衛門信益(犬山城主織田十郎左衛門舎弟)を城主とした。これが十九条城で、軽海の戦いで勘解由左衛門は戦死し、城は焼失した。